大判例

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札幌地方裁判所 昭和55年(ワ)547号 判決

原告(選定当事者)

越智喜代秋

外四名

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右訴訟代理人

矢吹徹雄

外三名

主文

一  原告(選定当事者)ら及び別紙選定者目録記載の選定者らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は右原告ら及び選定者らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告(選定当事者)ら及び選定者ら

1  被告は原告(選定当事者)ら及び別紙選定者目録記載の選定者ら(以下、「原告ら」と総称する。)に対し、各金一〇万円並びにこれに対する昭和五五年四月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

(本案前の申立)

1 本件各訴をいずれも却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(本案についての申立)

1 主文同旨

2 担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位

原告らは、昭和五四年一〇月七日に実施された衆議院議員総選挙(以下「本件選挙」という。)において、いずれも北海道第一区の選挙区において選挙権を有し、かつ、これを行使したものである。

2  議員定数配分規定の違憲性

本件選挙は、公職選挙法一三条、別表第一、同法附則七項ないし一一項所定の選挙区及び議員定数の定め(以下「本件議員定数配分規定」という)に従つて実施されたものであるが、右規定は、本件選挙が実施される以前から既に、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条に違反するものであつた。

すなわち、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条は、国会議員の選挙における選挙権の平等を規定するものであるが、右の選挙権の平等は、単に成年者による一人一票制の原則を保障したにとどまらず、選挙権の内容の平等、換言すれば各選挙人の投票価値の平等、各投票が選挙の結果に及ぼす影響力における平等をも当然に要求するものである。したがつて、選挙人の居住場所(選挙区)の異なることにより、その投票価値に差別を設けることは、特段の合理的な理由が存しない限り憲法の右各条項に違反することになる。

しかるに、本件議員定数配分規定によれば、前回の衆議院議員総選挙(以下「前回選挙」という。)の時である昭和五一年一二月五日現在における議員一人あたりの有権者数を比較するならば、兵庫県第五区が八万〇四〇四人であるのに対して北海道第一区は二五万四四九八人であり、その比率は1対約3.16であつた。さらに本件選挙におけるそれを検討すると、右選挙実施日である昭和五四年一〇月七日現在の議員一人あたりの有権者数は、兵庫県第五区が八万一〇九六人であるのに対して、北海道第一区は二六万九七五一人であり、これを比率にすると1対約3.32になり、その格差はさらに拡大した。すなわち、これによれば、原告ら北海道第一区の有権者の投票価値は、兵庫県第五区の有権者らのそれに比較して概ね三分の一にしか値しないことになる。

右の如き結果をきたす本件議員定数配分規定は、選挙人の居住場所(選挙区)の異なることによつて、その投票価値に著しい差別を設けていることとなり、しかも右不平等は、選挙区の面積の大小、人口密度、地理的状況等の諸要素を考慮してもなお合理性を有するものとは考えられない。したがつて、本件議員定数配分規定は、本件選挙時はもとより、前回選挙時から既に憲法の前記各条項に違反していたものである。

3  国の責任・立法不作為

国会は国権の最高機関であり、かつ、国の唯一の立法機関であるところ、これを構成する国会議員(これらは特別職の国家公務員である)は憲法尊重擁護の義務を負うものであるから、国民の基本的人権、なかんずく議会制民主主義の根幹をなす選挙権の平等、投票価値の平等が侵害されている事実が存する場合、可及的すみやかにその根拠法規を改正すべき憲法上の義務を負担している。

一方、昭和五一年四月一四日、最高裁判所はその大法廷判決により、選挙権の内容、すなわち、各選挙人の投票価値の平等もまた憲法の要求するところであると判示し、昭和四七年一二月一〇日右平等原則に反する公職選挙法一三条、別表第一、同法附則七項ないし一一項の規定を根拠に実施された千葉県第一区における衆議院議員総選挙は違法である旨宣告した。

右判例の存在は、投票価値の平等が憲法上の要求であるとの公権的解釈が示されたことを意味するから、国会は、遅くとも右判断が示された時点から憲法上要請される合理的期間内に、違憲状態を是正すべく公職選挙法の前記各条項等の点検並びにその改正の立法行為を行なわなければならぬ法的義務を負担していた。前述のとおり、北海道第一区における議員定数配分規定についてもこの義務を免れる例外ではなかつた。しかるに、右最高裁の判決後三年六か月経過した後である本件選挙時に至つても、国会は北海道第一区の議員定数につき何らの改正行為も行つておらず、右立法行為の不作為は、原告らが他の選挙区の有権者らと同様に有すべき投票価値を正当かつ合理的理由なく制限しつづけていることを意味するものであり、前記憲法各条項に違反する結果を原告らにもたらしている。

右の改正立法行為をしないことによる違憲状態は、国の公権力の行使にあたる公務員たる国会議員がその職務を行なうについて故意又は過失によつて惹起したものであるから、被告はこれにより生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

原告らは以上のとおり、国会における立法不作為によつて憲法に違反する本件議員定数配分規定の下に放置され、本件選挙においてその投票価値が不平等な選挙権の行使を余儀なくされた。そして原告らは、憲法上保障された平等な選挙権の行使を侵害されたことにより、著しい精神的苦痛を被つた。原告らの右苦痛を慰謝するためには、損害賠償として原告ら各人に対して少なくとも金一〇万円の給付をもつてするのが相当である。

5  結論

よつて、原告らは被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項に基づき損害賠償金として各金一〇万円及びこれに対する損害発生の後である昭和五五年四月二〇日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の主張、請求原因に対する認否及び本案についての主張

別紙(一)に記載のとおり

三  被告の主張に対する原告らの反論

別紙(二)に記載のとおり

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告の本案前の主張について

被告は、本件訴は実質的には公職選挙法が違憲であるか否かの抽象的違憲法令審査を求めるものであり、裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」にはあたらない旨主張しているので、まずこの点について判断する。

本件訴は、請求の趣旨及び原因によれば、本件議員定数配分規定が昭和五四年一〇月七日の本件選挙時においてはもとより昭和五一年一二月五日の前回選挙時においても既に憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条に違反していたものであるとし、国の公権力の行使にあたる公務員である国会議員により構成される国会は、かかる違憲法令を改正すべき法的義務を有しており、かつ本件選挙時までには右改正が可能であつたにもかかわらず、故意又は過失によりこれを行わなかつたため、原告らは、右の違法な立法不作為により違憲状態下に放置され、本件選挙において投票価値が不平等な選挙権の行使を余儀なくされて著しい精神的苦痛を被つたとして、被告に対し国賠法一条一項により各金一〇万円の損害賠償を請求しているものである。

ところで、ある訴が裁判所法三条一項にいう「法律上の争訟」にあたるといいうるためには、当該訴が、その請求の趣旨及び原因からして、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、法律の適用によつて終局的に解決しうべきものであることを必要とし、かつこれをもつて足りると解される。

しかるところ、本件訴は、前示のとおり具体的な損害賠償請求権の存否に関する紛争であり、国賠法一条一項を適用し、その構成要件事実の存否を判断することによつて終局的に解決することのできるものであるから、前記の「法律上の争訟」たる要件に欠けるものではなく、このことは、本件が国会の立法不作為を理由とする慰謝料請求訴訟であるからといつて、別異に解さなくてはならないものではない(なお、法律のいわゆる処分的性格は、後記のとおり、本案に関する問題であつて、右の「法律上の争訟」たる要件としてはこれを必要としないと解される。)。

二国会のいわゆる立法不作為を理由とする損害賠償請求の可否

原告らが本件選挙においていずれも北海道第一区の選挙区において選挙権を有し、かつ、これを行使したものであること、そして、本件選挙が公職選挙法一三条、別表第一、同法附則七項ないし一一項所定の選挙区及び議員定数の定め(本件議員定数配分規定)に従つて実施されたものであることは、当事者間に争いがない。

原告らは、本件議員定数配分規定が違憲の状態にあつたにもかかわらず、これを改正しなかつた国会のいわゆる立法不作為をもつて、国賠法一条一項にいう公権力の行使にあたる公務員の違法行為である旨主張し、同法に基づき損害賠償の請求をしているので、まず、かかる請求の可否について検討する。

国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である(憲法四一条)ところ、国会がある立法を行うか否か、また立法するとして何時いかなる内容の立法を行うかは、当該時点における政治的、経済的、社会的諸情勢をふまえ政治的、政策的判断を伴つて決せられるものであつて、その事柄の性質上、国会は、立法に関して広範な裁量権を有するものと解せられる。

したがつて、ある法律が裁判所により違憲無効と判断された場合に、国会が右法律を改正しなかつたとしても、通常は国会もしくはこれを構成する国会議員の政治的責任が問われることは格別、当該法律を改正しなかつたことが直ちに違憲、違法であるということはできない。

しかしながら、憲法は国の最高法規であり、その条規に反する法律はその効力を有さず(憲法九八条一項)、国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法九九条)のであるから、国会の立法についての裁量権ももとより無制約なものではなく、あくまで憲法を頂点とする現行法秩序の許容する範囲内における裁量にとどまるべきものと解される。

そして、憲法上保障された国民の重要な権利に関する法律であつて、当該法律がその規定によつて、行政庁の具体的行為を介することなく直接に、右権利の存否、内容等を確定する効果をもつ性格(いわゆる処分的性格)を有する場合に、当該法律の規定が憲法に違背していることが客観的に明白な状態になり、かつ、国会がこれを改正しうる相当期間経過後も改正することなく漫然とこれを放置し、これによつて国民の右権利が現に侵害されているようなときには、国会の右立法不作為は、立法についての裁量権の範囲を著しく逸脱した違憲、違法なものというべきであつて、その責任は、単に政治的なそれにとどまるものではなく、法的責任をも問われることがありうると解するのが相当である。

ところで、議員定数配分規定は、選挙区及び各選挙区において選挙すべき国会議員の数を定めるものであるが、右は、行政庁の具体的行為を介することなく直接に選挙区毎における国民の選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票価値いかんを決定する性格(いわゆる処分的性格)を有するものである。

しかるところ、わが憲法上、選挙権、なかんずく国会議員を選挙する権利は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利であつて、議会制民主主義の根幹をなす重要な権利として確認宣言されているものであり(憲法前文、一五条一項)、また、憲法が保障した平等選挙の原則(憲法一四条一項、一五条三項、四四条但書)は、単に選挙人資格における差別の禁止、すなわち一人一票制の原則を宣明したにとどまらず、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票価値の平等をも要求しているものと解される(最高裁判所昭和五一年四月一四日判決民集三〇巻三号二二三頁参照)。したがつて、憲法四三条二項、四七条が国会議員の定数、選挙区等の国会議員の選挙に関する事項は法律でこれを定める旨規定していることから、衆議院議員の選挙につき採用されたいわゆる中選挙区単記投票制の下において、具体的にどのように選挙区を区分し、各選挙区にどれだけの議員を配分するかは、原則として国会の裁量によつて決せられるものであるとしても、国会の制定した議員定数配分規定が、憲法上正当として是認しうべき合理的根拠に基づくことなく、選挙人の投票価値に不平等をもたらすものであるときは、右議員定数配分規定は憲法の保障した平等選挙の原則に違背した違憲なものであるといわざるをえず、同規定が前記のように処分的性格を有していること及びこれによつてその価値いかんを決せられる国民の選挙権の重要さに鑑みれば、右違憲の状態が客観的に明白となつたときは、国会は、相当期間内にこれを改正し、平等選挙権の侵害という違憲、違法な状態をすみやかに除去すべき法的責務が存するものというべきである。

そして、国会を構成する国会議員は、国賠法一条一項にいう国の公権力の行使にあたる公務員であり、国会議員が故意又は過失(なお、国会のような公務員の合議制の機関については、議員意思の多数決による集約の結果である国会の意思判断を国会議員の意思判断とみなして、これにつき故意、過失を問題にすれば足りると解される。)により、かかる違憲、違法の立法不作為をなし、これによつて他人に損害を生ぜしめたときは、被告たる国は、同法に基づきその損害を賠償する責任があるというべきである。

被告は、右の点につき、国会議員については憲法五一条の規定するいわゆる免責特権により、議院で行つた演説、討論又は表決について一般の民事責任を免責されるから、国会議員の加害行為(本件では本件議員定数配分規定を改正しなかつたこと)を理由として、被告が代位責任たる国賠法一条一項の損害賠償責任を負うことはない旨主張する。しかしながら、憲法五一条は、国会議員が議院で行つた表決等につき、個人として民事上の責任を負わないことを規定したものにすぎず、国会議員の故意又は過失による違法な職務行為が、これを適法なものとされ、あるいは違法性が阻却されるなどして、国賠法一条一項の要件を充足することまで否定した趣旨のものであるとは解されない。したがつて、たとえ国賠法一条一項の法的性質を代位責任と解するにしても、国会議員につき右のような一身的な免責事由の存することは、同法による被告の損害賠償責任の成否を左右するものではなく、被告の右主張は採用できない。

三本件議員定数配分規定の違憲性

本件議員定数配分規定による昭和五一年一二月五日の前回選挙時における議員一人あたりの有権者数は、兵庫県第五区が八万〇四〇四人であるのに対して北海道第一区は二五万四四九八人であり、その比率は1対約3.16であつたこと、同じく昭和五四年一〇月七日の本件選挙時における議員一人あたりの有権者数は、兵庫県第五区が八万一〇九六人であるのに対して北海道第一区は二六万九七五一人であり、その比率は1対約3.32であつたことは、当事者間に争いがなく、右によれば、前回選挙及び本件選挙において、北海道第一区の選挙人の投票価値と兵庫県第五区の選挙人の投票価値に格差があり、前者の投票価値は後者のそれに比較しておおよそ三分の一であつたということができる。

そこで、北海道第一区の選挙人の投票価値と兵庫県第五区の選挙人の投票価値の前記のような格差につき、これを憲法上是認しうるような合理的根拠が存したか否かについて以下検討する。

被告は、国会が選挙区の区分と議員定数の配分を決定するにあたつては、単に人口的な要素のみならず、従来の議員定数の沿革や立候補者数の多寡、選挙区の大小、選挙区を構成する行政区画の歴史的沿革、住民構成、交通事情、産業、経済、自然等の地理的条件等諸般の非人口的要素をも考慮しうるものであり、とくに近年問題となつている人口の都市集中化傾向が社会政策的あるいは経済政策的にみて必ずしも望ましいことではないことに鑑みれば、これをできる限り抑制し、過疎地域における経済面、文化面等の充実を図るため、当該過疎地域の住民の投票価値を大ならしめてこれにひときわ大きな政治的影響力を与えることが必要であつて、これらの非人口的要素をあわせ考えれば、前記のような投票価値の格差をもつては未だこれを違憲とはいえない旨主張する。

確かに、選挙区の区分は、人口的基準のみをもつて単純機械的にこれを行うのは必ずしも相当ではなく、国政に民意を効果的に反映させるためには、都道府県、市町村などの行政区画の歴史的沿革や交通事情、産業、経済、自然等の地理的条件などを考慮することもある程度は必要なことであり、さらに、このようにして決定された選挙区にどれだけの議員を配分するかについては、少なくとも端数処理等の技術的要素はこれを考慮せざるをえないものであるから、その結果、選挙区を異にする選挙人間の投票価値にある程度の格差が生ずるのもやむをえないことといわなければならない。

ところで被告は、投票価値の格差が是認されるべき一例として過疎地域優遇の問題をあげるのであるが、ある選挙区が、過疎地域にあたるかあるいは過密地域にあたるかということ自体明確を欠くものである(例えば、北海道第一区は札幌市、小樽市などの都市部を含む反面、後志のような過疎地域ともいうべき部分が大きな割合をしめるものであつて、これを全体として過密地域といいうるか否かは大いに疑問である。)のみならず、現在いわゆる過密地域も過疎地域に劣らず重大な社会問題(例えば、物価、公害、環境、住宅等)を抱えていることは周知のことであり、人口の過疎、過密は国民全体の問題というべきであつて、これは国民の多数意思によつて解決すべき事柄である。そしてこの国民多数意思の実現は、議会制民主主義をとるわが国の制度上、まさしく平等な選挙権に基づく国会議員の選出によつて図られるべきものであるから、人口の過疎、過密が今日における重要な政治的問題であるとしても、そのゆえをもつてある地域の選挙人の投票価値を大ならしめ、あるいは小ならしめる合理的根拠とはなし難いし、この理は選出された国会議員が単なる選挙区の代表者ではなく、国民全体の代表者であることに徴しても明らかである。

判旨そして、そもそも憲法が要求していると解せられる投票価値の平等は、本来、異なる選挙区間における国民個々人の事実上の相違を捨象して各人を均しく扱うことによつてはじめて実現されうるものであるから、議員定数の配分を決するにあたつては、人口的要素、すなわち選挙区における有権者の数が最大限に尊重されるべきことは当然であるといわなければならない。そうであるとすると、選挙区間の投票価値の格差は、できうる限り最少限度にとどめるべきであつて、前記のように、選挙区の区分が非人口的要素をも考慮して決せられ、選挙区に配分すべき議員数の決定には技術的要素も考慮せざるをえないとしても、少なくとも本件におけるように、ある選挙区の投票価値が他の選挙区のそれに比して三分の一にしかすぎないような結果となる場合においては、諸般の事情を考慮してもなお、当裁判所としては、かかる不平等が憲法上是認しうる合理的根拠に基づくものとは解し難いのである。したがつて、かかる投票価値の不平等を生ぜしめる本件議員定数配分規定は、憲法の保障する平等選挙の原則に違背するものであり、本件選挙時はもとより前回選挙時においても違憲なものであつたといわざるをえない。

四本件立法不作為の違法性

しかしながら、衆議院議員の選挙について、選挙区間の投票価値にどの程度の不平等が存する場合にこれを憲法が要求する平等選挙の原則に違背するものとすべきかについては、周知のとおり裁判所の判断が分かれているところであり、これを最高裁判所昭和五一年四月一四日判決以降本件選挙時までに国会が参酌しえたものについてみると次のとおりである。

すなわち、まず前記の最高裁判所昭和五一年四月一四日判決は、昭和四七年一二月一〇日に実施された選挙について、各選挙区間の議員一人あたりの有権者数に最大約一対五の格差が存することを違憲としており、さらに、右の投票価値の不平等は、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達しているばかりでなく、これをさらに超えるに至つている旨判示していることから、右より低い程度の格差が存する場合にも違憲となりうることを示唆していると考えられるが、具体的にどの程度の格差をもつて違憲とするかについては明らかにされていない。

また、昭和五一年一二月五日に実施された選挙(本判決のいう「前回選挙」)については、東京高等裁判所昭和五三年九月一三日判決(行裁例集二九巻九号一六二一頁)は、1対3.5の格差の存在をもつて違憲としたが、同裁判所昭和五三年九月一一日判決(同二九巻九号一五九六頁)及び国賠法事件についての東京地方裁判所昭和五二年八月八日判決(判例時報八五九号三頁)は、ほぼ右と同じ程度の格差が問題となつたのに対して、これを違憲とはいえないと判断しているものである。

判旨以上のとおり、衆議院議員の選挙区間の投票価値にどの程度の不平等が存すれば憲法が要求する平等選挙の原則に違背し、違憲となるかについて、法令審査権を有する裁判所の判断が分かれていた実情に照らせば、本件選挙時までに、本件で問題となつている1対約3.16あるいは1対約3.32程度の投票価値の格差の存在をもつて、これが憲法の保障する平等選挙の原則に違背することが、客観的に明白であつたとまでは解することができないのである。そうであつてみれば、本件議員定数配分規定が前回選挙時及び本件選挙時において前記のとおり違憲であるといわざるをえないにしても、国会がこれを改正しなかつた本件の立法不作為をとらえて、直ちにこれを違憲、違法ということはできないものである。

五結び

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当としていずれもこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(村重慶一 大橋弘 河邊義典)

別紙(一)

被告の本案前の主張、請求原因に対する認否及び本案についての主張

(本案前の主張)

原告らは、本訴において国会が公職選挙法の改正を怠たり、右法律が憲法に違反する状態になつたことにより精神的損害を受けたとして慰謝料を請求している。

ところで、我が国の裁判所は、違憲立法審査権を有しているが、違憲立法審査権は個々の具体的事件を通して行使されるべきであり、我が国の裁判所は抽象的な違憲立法審査権を有しないというのが最高裁判所の判例である(最高裁昭和二七年一〇月八日大法廷判決・民集六巻九号七八三頁)。本件は、法律の違憲の確認を求める訴訟ではなく慰謝料請求訴訟であるため、形式的には抽象的な違憲立法審査権の行使を求める訴訟には該当しない。しかし、慰謝料は、当事者がその請求金額の結論を支えるための具体的かつ係数的根拠を主張・立証する必要はなく、裁判官もその妥当と考える金額を何らの根拠を示すことなく認容できるものであり、必要があれば名目的な金額の認容も可能であり、本件では、結局、昭和五四年当時の公職選挙法が違憲であるか否かを抽象的に争うことになる。そうして、本件のような訴訟を適法とすれば、国民は誰でもある法律の存在により精神的損害を受けたと主張して名目的な慰謝料を請求し、その法律の違憲性を抽象的に争うことが可能となる。しかし、これは、実質的に裁判所に抽象的違憲法令審査権を付与したのと同様の結果になり、最高裁判所の確定した判例に違反することは明らかである。

よつて本訴は不適法として却下されるべきである。

(請求原因に対する認否)

1 請求原因1項は認める。

2 同2項については、本件選挙が公職選挙法一三条、別表第一、同法附則七項ないし一一項所定の選挙区及び議員定数の定めにしたがつて実施されたこと、右議員定数配分規定による前回選挙時及び本件選挙時における兵庫県第五区及び北海道第一区における議員一人あたりの有権者数並びに右両選挙区の議員一人あたりの有権者数の比率が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

3 同3項については、国会は国権の最高機関であり、かつ国の唯一の立法機関で、これを構成する国会議員は憲法尊重擁護の義務を負うものであること、及び昭和五一年四月一四日最高裁大法廷が原告ら主張の如き判決をなしたことは認めるが、その余は争う。

4 同4項は争う。

(本案についての主張)

1 本件議員定数配分規定が違憲の状態になかつたことについて

原告は、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条の規定が、選挙権につき結果価値の平等をも含めた投票価値の平等を保障する趣旨の規定であるとしたうえ、公職選挙法一三条、別表第一及び同法附則七項ないし一一項による選挙区及び議員定数の定めは違憲であると主張する。しかしながら右の主張は以下に述べる理由により失当である。

(一) 憲法四三条二項、四七条は、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項を法律で定める旨規定しているが、このことは、選挙に関する事項の決定は原則として国会の裁量的権限に委ねる趣旨であると解される。したがつて、国会は、我が国の選挙制度として比例代表制、少数代表制、あるいは多数代表制等のいずれを選択してもよいのであるが、国会が選択した選挙制度のいかんによつては、投票の結果価値に差異が生ずることもあるのである。例えば、現行の中選挙区単記投票制においては落選者に投票した選挙人の投票は無価値となり、その投票意思は国会に反映しないこととなるから投票価値ないし結果価値の平等が損なわれることになるが、憲法はこれを容認しているものと解すべきである。もし、憲法が投票価値ないし結果価値の平等をあくまで要請しているとするならば、完全拘束式比例代表制を採用せざるを得ず、そうなれば、現に実施されている中選挙区単記投票制自体の違憲性が問題となつてくるのである。以上の次第で、憲法は投票価値ないし結果価値の平等までも要求していると解することはできない。

(二) 仮に現行の中選挙区単記投票制の下において投票価値ないし結果価値の平等を考慮するとしても、議員定数の配分は、単なる人口的要素のみならず、従来の議員定数の沿革や立候補者数の多寡、選挙区の大小、選挙区を構成する行政区画の歴史的沿革、住民構成、交通事情、産業、経済、自然等の地理的条件等諸般の非人口的要素を考慮し、国会の高度な政治的裁量に基づいて行われるものである(前記最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二四六頁参照)から、投票価値ないし結果価値の平等のみを絶対視することはできないのである。そして、右のような国会の裁量は、それが著しく裁量の範囲を逸脱し、しかもそのことが一見して明白でない限りは、違憲にならないと解すべきである。

(三) そして、右のような非人口的要素を検討する場合には人口の都市集中化現象及び一部地域の過疎化現象の政治的、経済的、文化的意義を検討することも極めて重要である。

(1) 近年の人口の都市集中化の現象は、経済的、文化的などの諸利益が都市部に集中しているために生じたものであるが、このような都市への人口の集中化が急激に生ずることは多くの弊害や歪みを伴うものであり、社会政策的あるいは経済政策的にみて、必ずしも望ましいこととはいい難い。

そこでこのような傾向をできるだけ抑制し、過疎地域における経済面、文化面等の充実を図り、その魅力を増大させることが望ましいが、そのためには、当該過疎地域の住民が一きわ大きな政治的影響力の可能性を持つようにすることが必要である。すなわち、選挙におけるその投票の価値が大きくなつていることが必要であり、これによつて、その地域の政治力に対する住民の影響力を増大させることが可能となるのである。

(2) これに反し、人口の集中した都市は元来、それ自体政治的に大きな影響力を行使しうる可能性を有するものであり、これにさらに大きな政治力が行使される可能性を与えることは、政治的に望ましいことではない。このように、都市の政治力は過疎地域のそれよりも大きいのであるから、さらに、人口数に応じて、投票権の完全な平等が実現されると、その政治的影響力は均衡を失して著しく増大し、政治的、経済的、文化的等の各種の利益がますます都市部にのみ集中し、過疎地域との間の地域的不均衡が実質的に拡大する結果になる。

(3) 右のような観点からすれば、投票価値ないし結果価値の平等を厳格に要求することは、かえつて政治の不平等をもたらすおそれがあるのである(東京高裁昭和五三年九月一一日判決・判例時報九〇二号二四頁参照)。

(四) 人口的要素の外に、以上のような非人口的要素を併せ考えれば、本件選挙において、兵庫県第五区と北海道第一区における議員一人あたりの有権者数の比率が1対3.32であるとしても、これをもつて一見明白に違憲な比率ということは到底できない。ちなみに、最高裁昭和三九年二月五日大法廷判決(民集一八巻二号二七〇頁)は、議員定数の配分は極端な不平等を生じさせない限り立法政策の当否の問題にとどまり違憲問題を生じないとし、有権者比較差4.09対1の程度では違法ではないとしている。右は参議院議員地方区の定数配分についてのものであるが、本件においても先例として十分考慮に値するものである。

(五) 以上、要するに選挙区別の定数配分にあたつて憲法の要求する平等とは単に人口による形式的平等ではなく、各選挙区の実態を踏まえた上での実質的な平等であると考えるべきである。

したがつて、本件議員定数配分規定は違憲の状態にはなかつたというべきである。

2 国会の立法行為に係る損害賠償請求について(国会議員の免責特権)

国賠法一条一項は、国又は公共団体がその公務員の違法な職務行為による損害について賠償の責めに任ずる旨定めているが、この規定は、本来加害公務員が負うべき責任を国又は公共団体が代つて負う旨、すなわち代位責任を規定したものと解するのが相当であつて、このような解釈は判例・通説の採用するところである。けだし、同条二項は、国又は公共団体に故意又は重過失があつた公務員に対する求償権を認めており、また、同条に基づく責任は、民法七一五条の使用者責任とその性格を同じくするものであると解されるからである。したがつて、国が国賠法一条一項により損害賠償責任を負うためには、加害公務員について、民法七〇九条所定の不法行為の成立要件を具備していなければならず、加害公務員に免責要件が備わつている場合は国も免責されるのである。

ところで、本件原告らは、国会が公職選挙法の改正をしなかつたため損害を受けたと主張している。しかし、国会は合議体の機関であるから、国会自体が加害公務員になることはない。加害公務員となるのは自然人である個々の国会議員である。ところで、憲法五一条は「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」と規定しているから、国会議員は、法律案を提出したこと又は提出しなかつたこと、法律案に賛成又は反対したことにより他人に損害を与えても民事又は刑事の責任を負うことはない。したがつて、加害公務員である国会議員が民事又は刑事責任を免責される以上、国も国賠法一条一項の損害賠償義務を負うことはないのである。

3 内閣又は国会議員が特定の法律案を国会に提出し又は発議する権限の行使が特定の個々の国民との関係で法律上義務付けられることはないことについて

原告らの主張によれば、北海道第一区の議員定数について改正が行われなかつたという立法上の不作為をもつて公務員(国会議員)の違法行為であるとするところ、一般に不作為(権限の不行使)が違法とされるためには、その前提として個々の国民との関係で法律上の具体的な作為義務の存することが必要であつて、単に政治的な責務が存するだけでは足りないものというべきである。

ところで、国会における制定法は本来的に国民一般に対して等しく一定の法律効果を生ずるものであり、本件議員定数配分規定もその例外ではない(議員定数配分自体は法定化されるが、個々の有権者は転出入によりすべての選挙区の選挙人となりうる。)。したがつて、仮に議員定数配分規定が違憲の状態に達しており、内閣又は国会議員が右の違憲状態を解消させるべき義務を負うとしても、右義務はすべての国民ないし有権者に対して負うものであつて、特定の個々の国民ないし有権者に対する具体的な義務として観念される性質のものではない。

してみれば、右の義務の懈怠が国民全体に対する政治上の責任を生ずることはあつても、個々の国民の権利に対応した法律上の義務の違反を生ずることはないというべきである(東京高等裁判所昭和三四年四月八日判決・下級民集一〇巻四号七一二頁、広島高等裁判所昭和四一年五月一一日判決・訟務月報一二巻七号一〇五〇頁各参照)。

4 国会議員の過失の不存在について

(一) 原告ら摘示の最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決も、議員定数の配分につき、「憲法は、……投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく」、「従来の選挙の実績や、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等諸般の要素」が考慮されるべきことを判示しているところであるが、ただ、昭和四七年一二月一〇日の衆議院議員選挙当時における各選挙区の議員一人あたりの有権者数の上限と下限との開きが約五対一の割合に達していたことをもつて、右のような「国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達して」おり、「もはや国会の合理的裁量の限界を超えている」と判断して、昭和三九年法律第一三二号による公職選挙法の一部改正にかかる議員定数配分規定を違憲であるとしているものである。しかし、右の判決においても、各選挙区の議員一人あたりの有権者分布差比率が右の約五対一以下である場合、どの程度に達すれば違憲になるかについての判断は全く示されていないものと解せられ、その他、この点についての明確な判断を示した最高裁判決は存しない。

(二) そして、高裁段階での裁判例としては、いずれも昭和五一年一二月五日に施行された衆議院議員選挙に関し、東京高裁昭和五三年九月一三日判決(判例時報九〇二号三四頁)は、右選挙に際しての議員定数を定めた昭和五〇年法律第六三号による改正された議員定数配分規定は改正当初から違憲であつたとする一方、東京高裁同年同月一一日判決(前掲誌二四頁)は、右選挙における神奈川県第三区と兵庫県第五区との議員一人あたりの有権者分布差比率が本件よりもさらに大きい3.6対1に達していたとしても、この程度の投票価値の偏差は立法機関たる国会に委ねられた裁量権の行使の範囲内にあり、合憲であるとしていることは周知のとおりである。

(三) ところで、一般に、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、そのいずれについても相当の根拠が認められる場合に、公務員がその一方の見解を正当と解しこれに立脚して公務を執行したときは、仮に、のちにその執行が違法と判断されたからといつて、直ちに右公務員に過失があつたとすることはできないものである(最高裁昭和四六年六月二四日第一小法廷判決・民集二五巻四号五七四頁参照)。そして、これを本件についていえば、右のとおり、本件同様に各選挙区間における議員一人あたりの有権者数の較差が三倍前後である場合の議員定数配分規定が違憲となるかどうかについては、終局的な判断権をもつ裁判所の見解が分かれているところであり、かかる場合、現在の議員定数配分規定がいまだ違憲の状態にまでは達していないとして国会を構成する各議員が右議員定数の配分規定を改正する措置をとらなかつたとしても、このことをもつて右各議員にこの点についての過失が存したということができないのは当然であり、東京地裁昭和五三年一〇月一九日判決(判例時報九一四号二九頁)は、本件と同様の国家賠償請求事件において右の理を正しく示したものといえる。

5 被侵害利益について

(一) 不法行為法上保護されるべき利益がいわゆる私的ないし個人的利益でなければならないことについては異論のないところと思われる。

本訴において原告らは平等なる選挙権の行使を侵害されたとし、選挙権の「投票価値の平等」をもつて被侵害利益とするようであるので、右の投票価値の平等が私的ないし個人的利益に属するか否かが検討されなければならない。

(二) 選挙権なる語は公職選挙法上の用語であり、憲法で選挙人の資格(四四条)というのと同義である。

選挙権の法的性格については諸説がある。古く近世初頭の自然法学者によつて、個人的権利説が唱えられ歴史的に重要な役割を果たしたが、その後フランス及びドイツにおいてその権利性を否定する公役務説が現われ、さらにイエリネツクがいわゆる権限説を唱導した。右の権限説は選挙人たる国民をもつて国の機関であるとし、選挙をもつて第一次機関である国民が第二次機関たる議会を創造する過程であるとするものである。したがつて、権限説においては選挙権は国民(選挙人)という国家機関の権限ないし権能であり、選挙する権利の主体は常に国家であるとするのである。なお、近時選挙権をもつて公務であるとともに個人的公権でもあるとするいわゆる二元説がある。わが国の有力な学説においても、国会議員を選挙する場合をもつて国民が憲法の規定によつて国家機関として行動することを認められている場合であるとしている。

(三) そこで、わが国の現行法が選挙権の法的性格をどのようなものとして把握しているかであるが、これを一義的に明確にした規定は存在しないけれども、行政事件訴訟法五条はこの点を考えていく上で有力な手掛かりを与えてくれるものと思われる。

すなわち、同条は、「この法律において「民衆訴訟」とは、国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものをいう。」と規定し、選挙人たる資格=選挙権をもつて自己の法律上の利益にかかわりのない資格の代表例としているのである。現行法が選挙権の法的性格についての前記学説中のいずれに立脚するかはにわかに断定できないにしても、選挙権が選挙人個人の法律上の利益とは無縁のものであることを明言している以上、少なくとも前記個人的権利説=私的利益説を採らないことは疑いを容れない。

ちなみに選挙区の定員の不平等を理由に選挙権を侵害されたとして抗告訴訟を提起した事案につき、裁判所はいずれも選挙権が私的利益にかかわらないことを理由に訴えを却下している。(東京地裁昭和五一年一一月六日判決・訟務月報二二巻一一号二五八八頁、同地裁同年同月一九日判決・同二二巻一一号二五九八頁、同地裁同日判決・同二二巻一一号二六〇四頁、千葉地裁同年同月二九日判決・同二二巻一一号二六一〇頁)。

右にみたように、選挙権自体選挙人の私的利益とかかわりのないものであるが、以下には原告らのいう投票価値の平等の問題についてやや立ち入つて考察を加えることにする。

(四) 仮に本件議員定数配分規定が憲法の選挙権平等の要求に反する程度にまで不均衡となつているとした場合に一体いかなる利益が害されるのであろうか。

人口の割に議員定数の少ない選挙区(以下「人口過密地区」という。)の選挙人も、反対に人口の割に議員定数の多い選挙区(以下「人口過疎地区」という。)の選挙人も一人一票を投ずる点においては少しも異なるところがないし、当該票が当選候補者に投ぜられるか落選候補者に投ぜられるかのいずれかであつて後者の場合にそれが死票となることも何ら異なるところはない。問題は当選に必要な最低得票数が人口過密地区においては異常に高くなり、反面人口過疎地区においては異常に低くなることから、人口過密地区は人口過疎地区に比して人口割の選出議員数が少なくなることである。

しかしながら、そうであるからといつて右のことが直ちに人口過密地区の選挙人の私的利益を侵害することにはならないのである。いうまでもなく国会議員は国民全体の代表であつて選挙区の代表ではなく、いわんや選挙人の代理人ではないのであるから、人口過密地区の選出議員数が人口過疎地区のそれに比して相対的に少ないからといつて人口過密地区の選挙人の私的利益が損われることにはならないはずだからである。

ただそのために全体としての国民の利害や意見が円満な形で議会に反映されないという代表民主制にとつて好ましくない結果を生じ、ために国政の運営に歪みを生ずるおそれのあることが考えられるが、その場合には人口過密地区たると人口過疎地区たるとを問わず国民全体の利益(公益)が害されることになるのであつて、人口過密地区の選挙人のみが不利益を被るわけではない。

(五) もつとも、選挙権の本質をどのように把えるかはともかくとして、具体的な投票行為をする者は個々の有権者であり、参政権を行使することに深い個人的満足感を覚えることは否定できない事実であるから、投票行為そのものが妨害されたような場合においては、妨害を受けた選挙人から妨害者に対し慰謝料を請求することは許されることかも知れない。

しかし、本件は右のような場合とは全く異なるのであつて、原告らの抱くであろう感情をあえて推量するとすれば、代表民主制の下における選挙制度のあり方に対する危機感ないし憂慮の念以外にはなく、いわゆる公憤の範囲を出ないものであつて、国民の負担において金銭をもつて慰謝されるべき性質のものでは到底ありえない(原告らが本訴を提起したのも些少の金銭をえるのがその目的ではなく、司法の場を通じて議員定数配分規定の改正の促進を図るところにその真のねらいがあることは明らかである。)。

なお、原告らが推薦し投票した候補者が落選したことによつて原告らが精神的苦痛を受けたとしても、それらが慰謝されるべきでないことは多言を要しない。

(六) 以上のとおりであつて、原告らのいう投票価値の平等は不法行為法上保護されるべき私的利益にはあたらないというべきである。

別紙(二)

被告の主張に対する原告らの反論

1 事件性について

被告は、本件訴訟が実質的に抽象的違憲立法審査権の行使を求めるものであり、不適法である旨主張する。

しかしながら、議員定数配分規定はこの規定の制定自体によつて、すなわち、これを実施するための行政行為等を俟つことなく、直ちに衆議院議員選挙における選挙区割、議員定数等を確定するのであつて、これを通して各選挙人の投票価値の平等性いかんが決定される効果を有するのである。したがつて、右議員定数配分規定は、各国民の具体的な選挙権と直接なる法的かかわりをもつものである。このような処分的性格を有する右議員定数配分規定に関して、これを改正する等の権限が与えられている国会議員の総体としての国会の一定の不作為により、原告らの選挙における具体的投票価値の平等という民主主義における基本的かつ最も重要なる権利が現に侵害されている場合、原告らがその精神的苦痛に対する損害(慰謝料)の賠償を求める本訴は本件当事者間に具体的な法律上の紛争が存在し、かつ法律を適用してこれを解決しうる場合であるから事件性は充分にあるといわねばならない。

2 衆議院議員定数配分における非人口的要素の取扱について

まず被告は、昭和五一年四月一四日最高裁大法廷判決をひいて、議員定数配分は単なる人口的要素のみならず、諸般の非人口的要素を考慮し、国会の高度な政治的裁量に基づいて行われるものであるから、投票価値の平等を絶対視することはできないと主張する。

しかしながら衆議院議員の議員定数配分は以下の理由により人口比例こそ根本原則とするべきであること、併せてたとえ技術的理由による格差が認められたとしてもその比率は最高一対二未満でなければ違憲である旨原告らは主張するものである。すなわち、

(1) 国会が国民の代表である国会議員によつて構成されるものであることはいうまでもない。ただその「代表」という概念の解釈には幅があり、過去この「代表」を選出する方法につき様々な歴史があつたことは周知の事実である。

しかし、昭和五一年四月の最高裁大法廷判決も指摘するように、選挙制度の歴史的な流れが往時の制限選挙から直接普通選挙へ、さらに婦人参政権へと推移してきた過程をみても、また戦後の新憲法下における選挙制度の制定、その後の推移に照らしても、選挙に関しては主権者たる国民一人ひとりの人格以外の諸要素を次第に排斥し、個人としての国民の意見をなるべく直接的に国政に反映するようにすべきであるとの方向に進んでいることは確かなことである。これはまた憲法一四条の平等の要請とも合致するものである。

かかる見地からすれば、国会議員の選挙区別定数を定めるにあたつては、選挙人となる国民がどの選挙区の住民であろうと、国政に対して個人として互いに等しい影響力を潜在的に持つよう保障しなければならないのであつて、そのためには、配分される一議席あたりその選挙区の人口が一定の許容範囲内で互いに等しくなるようにすること、いい替えれば、選挙区ごとに配分される議席数が人口に比例していることを原則としなければならない。これは、国会議員がどの選挙区から選出されたものであるかにかかわらず、全国民の代表者としての性格を有する旨憲法自身が定めていることからも明らかなことである。

(2) 右の見地からすれば、衆議院議員は国民代表としての性格が確定的に与えられているのであるから、格差の許容限度の基準も厳格になされねばならない。

すなわち、国民をその居住地によらず、あくまで人格として対等に考えるならば、欧米の先進諸国がすでに制度化しているように国民の中の任意の一人を他の任意の一人と比較して一方が他方の二人分以上の発言権を国政に対して持たないようにすること、制度的には、選挙区ごとの一議席あたりの人口の格差を最大と最少との間で二対一未満にとどめることを最低限度の基準としなければならないであろう。

(3) すでに最高裁も、昭和五一年四月の大法廷判決の中で「特定の範ちゆうの選挙人に複数の投票権を与えたりするような、殊更に投票の実質的価値を不平等にする選挙制度が平等原則に違反することは明らかであるが、そのような顕著な場合ばかりでなく、具体的な選挙制度において各選挙人の投票価値に差異が生ずる場合には、常に右の選挙権の平等の原則との関係で問題を生ずるのである」と述べているのは、憲法の平等原則に照らして、実質的な複数投票権を否定する見地からこの二対一未満の格差を許容限度とする説をとつているものと考えられるのである。したがつて右大法廷判決は、その文理からして、むしろ原告らのかかる見地のためにこそ援用されるにふさわしいものである。

(4) 人口比例の原則はこのように数理的に厳密なものであるべきであるが、それが憲法の要求に合致するものである以上、衆議院議員の定数配分においては、これを根本原則として厳守されねばならない。したがつてこれが原則である以上、仮に何らかの合理的理由に基づく非人口的要素を考慮に入れる場合であつても、それはこの根本原則に抵触しない限りで、換言すれば前述の格差許容限度の範囲内においてのみ補助的に考慮することが許されるにすぎないというべきである。

因に、公職選挙法はその一五条七項において地方議員の定数配分が人口比例原則によるべきであることを明記しており、さらに本件で問題となつている別表第一においても、その制定当時はかかる原則を守つた定数配分を表として定着していたものであることは歴史的事実である。加えて右別表第一の末尾の更正規定が「国勢調査の結果によつて」と定めてあるのも、国勢調査なるものが第一義的には人口調査であることを考えれば、人口比例原則を絶えず守ろうとの意図に出たものであることは疑問の余地がない。

これを要するに、公職選挙法の立法精神は明らかに人口比例の原則をさし示しているのであつて、最近に至つて非人口的要素を過度に重視する(原則と例外が倒錯している)べきであるとするが如き被告をはじめとする様々な主張は、事後的に不平等の現状を正当化せんとする牽強付会の説にすぎないのである。

(二) いわゆる過密・過疎問題と、選挙制度上の国民の平等との関係

(1) 被告は、いわゆる一票の重みの不当に軽い(一議席あたり人口の多い)選挙区がもつぱら大都市周辺の人口過密地帯にあり、逆に一議席あたり人口の少ない選挙区がいわゆる過疎地帯にあることをとらえて、このような人口分布の偏りは、文化的・社会的利益を享受しうる地域に人口が殺到したために起きたものであるとし、そのような利益を享受することの薄い過疎地帯には過大の発言権を与えることが、裁量としてありうると主張せんとするごとくである。しかしこれは、過密・過疎の現状への認識を全く欠いた議論である。

(2) 第一に、例えば東京周辺に例をとれば、いわゆる文化施設、社会施設の集中する都心部は人口のドーナツ化現象により、すでに定住人口は過疎化し、その結果、大都会でありながら一議席あたりの人口もむしろ全国平均以下となつている。これに対して、一議席あたりの人口の極度に多い選挙区は、むしろ東京周辺にして都心部からは遠い三多摩、千葉、埼玉、神奈川等に存在し、これらの地域では、実際に享受しうる文化的・社会的利益は決して大きくないどころか、むしろ住民はあらゆる過密の苦しみに悩んでいる。第二に、いわゆる地方中核都市のごとき都会においては、享受しうる文化的・社会的利益は首都圏や近畿圏における大都市と比べて決して遜色ないにもかかわらず、またその都会的生活様式や住民生活に関する経済事情についてもそれほどの差がないにもかかわらず、周辺に過疎の山村を持つがために、選挙区全体としては有利な発言権を与えられている。これを要するに、被告のいわんとする文化的・社会的利益の大小と選挙区ごとの定数との間には、少なくとも現状において反比例関係のごとき整然たる相関は認めがたいのであつて、これは被告の認識に基本的な誤りがあることを示すものにほかならない。したがつて、仮に百歩を譲つて被告の示唆するごとき政策的配慮なるものを選挙制度上にも認めるとしても、現行の定数配分は、決して結果的に公平になつているとは考えられないのである。また、仮にそのような政策的配慮をとるならば、その配慮自体が妥当であることを示すために、いかなる文化的・社会的利益に対していかなる定数配分の格差をもつて均衡をとるかを客観的に明示すべきであるのに、かかる明示は国会においてもなされておらず、むろん被告もこれをなしえずしてひたすら国会の裁量権を拡大解釈するにとどまつている。

(3) いうまでもなく過密・過疎の問題は現代社会における重大問題であつて、早急に解決がはかられなければならないが、その解決のためと称して国民の基本的人権に意図的な格差を設けるべきであるとするがごとき被告の主張は、憲法解釈上まつたく許されないものである。現実においても、これまですでに不当な定数配分の不平等によつて過疎地の住民に著しく過大な政治的影響力が与えられていたにもかかわらず、なおかつ過密化・過疎化は進行の一途をたどつて来たのであるから、被告の主張するごとき裁量なるものは問題解決に役立たないことを知るべきである。

(4) 被告は都市と過疎地域の政治力の比較を論ぜんとするがごとくであるが、衆議院議員は地域代表ではなく全国民の代表であるから、この主張は全く無意味であり、すべての国民はその居住地の状況にかかわりなく人格として対等に扱われなければならないことが憲法の要請である以上、この主張も全く失当である。

(5) もとよりかかる政治的配慮を許容することは、そもそも国政選挙自体が立法府におけるあらゆる立法措置や政治的判断に先立つ国民の厳粛な代表選出行為であることを考えれば、本末転倒というべきである。

(6) 被告は参議院地方区の議員定数配分の格差を本件の先例とみなすよう主張しているが、参議院地方区はその当否は別として歴史的に地域代表としての性格を与えられていたのであるから国民代表としての衆議院との、いわゆる院の性格の違いに着眼すべきであつて、この主張も失当である。

(三) 以上述べたとおり、被告の主張する非人口的要素なるものは、いずれも理由のないものであり、仮に、被告が主張している事由以外に合理的な格差発生事由があつたとしても、人口比例原則、国民代表たる衆議院議員を選任する国民の平等なる権利の観点から本件の1対3.32の格差はその許容限度をはるかに超えるものであり、かかる本件議員定数配分規定は憲法に違反するものであつて、また明らかに原告らの平等なる選挙権の行使を侵害していることになる。

3 国会の立法行為に係る損害賠償請求について

被告は憲法五一条に規定の国会議員の免責特権があるから、国会の立法行為に係る損害賠償は代位責任者としての被告は負担しないと主張するが、現行の国家賠償制度において、憲法五一条の有する意味は、国会議員は、議院において演説、討論又は表決をなすにあたり故意又は重大な過失によつて違法に他人に損害を加えたとしても、国から国賠法一条二項によつて求償を受けることのないことが憲法上保障されているというだけであつて、同条の中に、国会議員が院内で行つた演説、討論又は表決は本来違法なものであつても適法とみなされるとか、あるいは国会議員が違憲の立法を行つたこと、あるいは憲法上の義務に違背して立法を行わないことによつて他人に損害を与えたとしても、国は賠償責任を負わないというような趣旨が含まれているものとは到底解することができない(札幌高裁昭和五三年五月二四日判決)から、被告の主張は失当である。

4 被侵害利益について

被告は本訴における被侵害利益が「選挙における投票価値の平等」であつて、これは私的利益、個人的利益ではないから、不法行為上保護されるべきものではない旨主張する。

たしかに「選挙権」なる文言を概念法学的に「選挙人たる資格」、「国民が国家機関として国会議員を選出する場合」などと説明する限りにおいては、これは権利の性格が個人的公権であるから私的利益とは無縁である旨の結論がスムーズに出てくるのかもしれない。

しかし、かような論理は現実的な選挙に与えられている機能を無視した、ためにする議論との評価を免れないであろう。すなわち、原告らが本件選挙において精神的損害を被つたと主張しているのは、右の如き形式的、抽象的な選挙権概念を前提としているのではなく、民主主義政治の下における選挙の機能は国民が自らの自由なる精神活動の一環である自らの政治的意思を最も良く、最も端的に表明する最大の機会として存在すると把えていることに発するのである。この政治的意思表明たる選挙は、国民の個人的属性を捨象してその結果、効果において同価値の政治的影響力を持たされねば、民主政治に参加するという意味がなかば失われることになるから、これらの精神活動、国民の政治意思の実現についての平等性は充分に法的保護の対象となるはずである。そして、かかる意味における選挙権の行使がその投票価値において不平等であるというのは、その意味において選挙権の侵害というべきであつて、これによる精神的苦痛、すなわち国政に自らの政治的意思を正確に反映できず、一個の政治的人格主体として差別的にとりあつかわれたことによる苦痛は、その原因を作出したものから慰謝料の支払をうけることによつて慰謝されて然るべきである。

現に被告の主張においてさえ、投票行為そのものが妨害された場合には慰謝料の対象となる旨述べているのは、原告らの主張に対する批判の論理の延長線上には理解しえないところであるが、それはともかくとして、被告が右事例を慰謝料の対象と認めるのなら、原告らの本件請求も当然認めて然るべきものである。なぜならば、国政に対する参加ができなかつた場合と、ある人との比較において三分の一の参加しかできなかつた場合では、慰謝料の額の算定は異なるとしても、慰謝料の対象となるかどうかという次元では同じ質の問題といえるであろうし、価値的にも同一に評価できるであろうからである。

因に、被告は同一選挙区内での投票価値を問題にするようであるが、衆議院議員は当該選挙区の地域代表ではなく全国民の代表であることを憲法上性格付けられているのであるから、どの選挙区にあつても一人の国民が他の選挙区の任意の一人の投票価値と同等でなければ、自らの政治的意思が正確に国政に反映されたことにならないのである。これは選挙において選出された国会議員が、その選出過程における票の重みの軽重を問わず国会において一人一議決権の行使しか認められないという当然の事実によつて、より明白である。

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